江戸時代の末期、農閑期の副業として、紀州地方(和歌山県)や吉野地方(奈良県)に出稼ぎに行った農民たちが、そこで作られていた筆や硯などを仕入れ、行商をしながら帰郷したのが熊野筆誕生のきっかけ。その後、筆作りを学んだ若者たちがその技術を村人に伝え、熊野での筆作りが始まった。
1872年の学校制度の制定により学校に通う子供が増えると、筆の需要も高まり、生産量も増えていった。戦後、一時、習字教育が途絶え、生産量が低下した時期があったが、画筆や化粧筆などを作り、新たな活路を見出していった。
現在は、国内外でその品質の高さが知られるとともに、毛筆、画筆、化粧筆いずれも全国一の生産量を誇っている。
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