高岡銅器は1609年、加賀藩主が城下町の繁栄をはかるため、7人の鋳造師を呼び寄せ、現在の高岡市金屋町に住まわせたのがはじまり。当初は鉄器を鋳造しており、釜などの日用品や鍬などの農耕具が主体だったが、江戸中期からは需要に合わせて銅器を生産するようになった。
高岡銅器は、溶かした金属を型に流して固めた鋳物に彫金を施す「唐金鋳物(からかねいもの)」を作り出したことにより発達。花器や仏具に模様を彫り込み、高岡銅器ならではの美を創造し、名声を高めていった。
現在は、国内の銅器シェア90%以上を誇り、花器、仏像、銅像などのほか、アクセサリー、食器、香炉、置物など多彩なものが作られている。
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